妥協婚 4
化けとなった今は誰かと関わることもないのですから、恥も外聞もないのです。
どんなに恥ずべき事でも、微塵も気にせずお化けとして生きていけば良いのですが、
生きていた時と同様に、人目が気になるのが人間と言うものです。
自分を客観的に見ようとしてしまう人間としての癖、人間の性。
その誰もが持っているものを所持したまま、この女も異世界にやってきました。
他の人から見たら、今の私は憎悪を引きずる惨憺たる汚泥に見えるのだろう、
と思ってしまうのです。
孤独なアタシ。
彷徨うアタシ。
広葉樹に包まれたこの美しい山林における一点のくすみ、
それがアタシ。
周囲には誰もいないのですが、
そんな風に一人ぼっちでいるのは周囲の目には惨めだと見える、
と思ってしまったその女は、
最近流行りの一人キャンプをしているのだという体で過ごすことにしました。
妥協婚 3
彼氏を恨めしく思っていた女の頭の中では、
(あいつも一緒に崖下に落ちたんだから、恐らくこの辺りで彷徨ってるはずよ。
見つけたら引っ叩いてやるわ)
と、文句が右往左往しながら渦巻いていました。
女は頭の中でも思考をウロウロさせながら、
時々トンネル付近をウロウロしていました。
いつか彼氏を探し出して、力の限り罵倒するつもりなのです。
怒りも抱いている一方で、そんな理由で徘徊している惨めな自分を
自覚していないわけではありません。
独りぼっちで醜い衝動にかられた自分を、
恥ずかしいと思う気持ちを抱いているのです。
ですが、人間の性と言うべきでしょうか、女はその羞恥を認めたくはありません。
妥協婚 2
雨のサタデーナイトにトンネルを歩く一人の女がいました。
傘も雨具も何も持たず、サンダルは片方のみしか履いていませんし、
ワンピース赤い色が無造作に飛び散っています。
散らかった髪の毛で顔の半分は覆われ、額からは赤いものが流れていて、
誰が見てもおだやかではない様子です。
ハ町-オ町道に徒歩でやってくる人など普通はいません。
そこに普通ではない格好の女が一人でいるのですから、それはもちろんお化けです。
遡ること数か月前か数年前・・・
いつであったかは些細な事なのでこの際どうでもよいでしょう。
夏のある夜、彼氏が運転する車の助手席に乗っていたその女は、
運転する男の不注意により、オ町側の急こう配の峠道から崖下へ
車ごと転落してしまったのです。
とても高いところから落ちたので、残念ながら生きて帰ることはできませんでした。
車は崖から落ちながら何度も回転し、最後は岩に叩きつけられて屋根が
つぶれてしまいました。
若さゆえシートベルトをしていなかったので車内で体をぶつけたり、
割れたガラスで顔は切傷だらけです。
人間界から旅立つと普通は成仏するものですが、
心に引っかかるものがあると成仏できないのが世の常です。
荒い運転で事故を起こした彼氏に対して、
プンプンに怒っていたその女は成仏できませんでした。
それ故、現場であるトンネル付近で彷徨うように暮らしていたのです。
妥協婚 1
昔々あるところにお化けが出るという噂のトンネルがありました。
峠に隔たれた二つの町、ハ町とオ町は「ハ町-オ町道(はまち-おまちどう)」
という道で結ばれていて、そのトンネルは峠の一番高いところにあります。
ハ町から峠道を上っていくと、眺めの良いなだらかな傾斜が続き、
峠のてっぺんに差し掛かるころにトンネルが現れます。
トンネルは1キロほどで比較的平たんですが、オ町側へ出てからは
途端に急こう配になります。
急こう配・急カーブの連続で、さらに道路の周辺は山林が奥深く、
周囲を見渡しても眼下の景観は望めません。
ところどころ開けている場所があるのですが、
車やバイクの走行中では景色を見る余裕がないという道です。
そんなトンネル付近は『出る』という噂で、
麓に住む人たちからは「ゴーストンネル」と呼ばれていました。
それは悪いソバだった 23
その後ずいぶん時が経ち、世の中のことを知ったソバオは思いました。
わざわざソバになることもなかったのかもしれないな・・・
小麦として人生を全うして中力粉となったとしても、
蕎麦粉と混ざって二八蕎麦の「二」の方になれたかもしれないし。
そういう蕎麦のなり方でも良かったのかもなぁ・・と。
でも一瞬頭をよぎっただけで、そんなことはすぐに忘れました。
ソバオはカラスみたいな名前のソバと再婚し、幸せに暮らしていたからです。
おしまい